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★★ 1929-30年戰争の概略です ★★


  レミニア聯合共和國は、大陸の南半部を版圖とし人口6千万を数え、更に海外領土を併せて統治する中堅國家でありますが、つい最近までは、ふたつの別々の國家でした。1929-30の2年にわたる激しい戰争の末にひとつの國家に統合されたのです。
  そのひとつは、北部を領有し、古代帝國の直系を誇る「北帝國」で、大陸軍を常備する強國です。またもうひとつは、南部を領有する「レミニア共和國」です。いづれも人種的には同じ先祖から出ており、諸侯や都市國家が聯合したものです。
  このふたつの國がなぜ大戰争をしたかは、まだ解明されていません。一説によると、「北帝國」皇帝となった野心家の獨裁者が、豊な南部地方のレミニアを併合し、更に周邊諸國を併合して真の大帝國を目指そうとしたからだと云われています。この獨裁者は、北帝國の古い門閥貴族を抑え付け、能率の良い統制國家を夢見たのでした。

【戰争の経緯】
  「北帝國」と「レミニア共和國」は、東部荒地の領有を巡って驅引を続けていましたが、1929年11月、北帝國皇帝は、突如、軍を全國境地帯に展開し、侵攻の意圖を明らかにしました。
  これを受けて「レミニア共和國」議會は開戰已む無しとの結論に達し、總動員令が下されました。

★北方帝國軍の總動員

★北帝國軍ノルダ軍團

★北帝國軍ホーク軍團

★レミニア共和國軍


赤↑=レミニア地上軍、青↓=北帝國地上軍、緑青↓=北帝國飛行兵團、B=北帝國軍の先制空中爆撃(レミニア爆撃團基地壊滅)


西部戰線の膠着状態、及東部戰線の後退、空↑=レミニア飛行兵團

【西海岸の占領】
  北帝國軍歩兵第3軍團(ラトニア、サラマンダー、グリンラント、キング、インク、リイ、ホーキンガム、西部直轄地の各聯隊)は、12月、レミニア西海岸の地峡より2箇師團で侵入。塹壕線を敷いて迎え撃ったレミニア軍の守備隊(師團規模)は、數波の攻勢を支えきれず後退、狭い海岸地帯を南に逃げ、かろうじてヘルボイ村海岸砲臺にて若干の抵抗を行った後に、北方帝國海軍の艦砲射撃を受け、軍規の崩壊を来たし、烏合の衆と化した守備隊将兵は全員が捕虜となってしまいました。商業都市ブライトン、工業都市ブルカニロに北帝國軍部隊は無血入場、ファイロ大製鐵所、フォーロ鐵鉱山、カルボナルド島炭鉱など重要な産業施設もまた北方帝國軍の支配するところとなりました。

【西部戰線の形成】
  同時に北帝國軍騎兵團は、西部國境の森林山嶽地帯を越えオスタリーチ平野に侵入、迎撃するレミニア騎兵團と激しい戰車戰闘を展開しました。双方とも痛み分けとなり、餘りに戰車の損害が大きかったため、以降西部戰線に於ける大規模な機動戰は全く見られなくなったほどです。

  後續の北帝國軍歩兵第2軍團は、オリザ河畔を天然の阻止線としたレミニア防御軍により足止めされ、長々と続く塹壕線に拠って終戰まで一進一退の攻防戰が繰り廣げられることになります。
  レミニア軍にとっての危機は2度あり、その最初は、西海岸を占領していた北方帝國軍歩兵第3軍團がオリザ河畔の後背に廻り込むのを阻止するため、2箇歩兵旅團を中央の戰線から引き離して、新たな防衛線を敷かなければならなくなった時です。當然、北方帝國軍はこれを察知し、よい機會とばかり中央に大規模な攻勢をかけてきましたが、レミニア軍はなけなしの總豫備兵力の投入によって何とか持ちこたえました。
  その次は、北帝國軍が今までに無い大兵力で注ぎ込んで、長期にわたる攻勢を仕掛けてきた時です。既に總豫備を使い果しているレミニア軍は、急遽、海外の植民地部隊、外人部隊、特殊部隊、果ては民兵部隊までをも動員し、戰線の維持に努めました。
  もし、この戰線が破られると、北帝國軍は直ちに無人の野を快進撃、オスタリーチ縣、ガイツ縣を占領して、レミニアの首府メトロポリスに到達できるため、レミニア軍は防御に必死になったのでした。終戰の日まで、この戰線は膠着状態を保持し、双方とも大兵力が投入されました。悲惨な塹壕戰により多くの犠牲者が出ました。

【終戰】
  1930年5月、突如として相互不可侵条約に基づき中立を宣言していた大陸北西部の隣國ミグルシアがその空軍をして北帝國の首府に大爆撃を敢行せしめ、致死性毒瓦斯彈と焼夷彈を大量に投擲、一夜にして何十万人という非戰闘員を殺傷しました。このため被災跡は毒素に汚染されて、いまだに草も生えない状態です。北帝國は政治經濟の中樞機能の大部が停止し、大混亂に陥りました。ミグルシアは大陸西北部の軍事強國でしたが、温暖な穀倉地帯である大陸南部を昔から喉から手が出るほど欲しがっていました。そして北帝國とレミニア共和國のレミニア人が互いに未曾有の大格闘をしている隙を突いて、一挙に大陸南部を占領しようと企んだのでした。ミグルシアは軍の機械化が進んでおり、殊に大空軍を維持していました。その俊敏な戰術空軍は新開發の單葉戰闘機を繰出して制空權を次々と押さえ北帝國占領の為に西部國境を越えて地上軍を送り出してきました。

あろうことか北帝國と相互不可侵条約を結んでいた大陸北部のゴルゴニア國も一方的に条約を破棄し、手薄になっていた北部國境の防衛線を突破し、悪逆非道の囚人部隊を先頭にして侵入してきました。

このため北帝國の獨裁者は國民の支持を失い失脚しました。獨裁者の支持勢力の強い帝國北部のオルニア地方はゴルゴニア軍が地元に侵入してきたためレミニアとの戰爭どころではなくなり、もともと反對勢力の強い西部のミドルホーク地方は地元の造船所や油田を爆撃されてレミニアとの戰爭継續意思を失い、泥沼化した戰線と銃後に厭戰氣分が蔓延していた帝國中心部のノルダ地方も遂に獨裁者を見放してしまいました。穏健派のクーデターが起り、獨裁者と側近が拘束され、新政權が樹立されました。直ちにレミニアと停戰協定が結ばれ北帝國軍はミグルシャ・ゴルゴニア撃退の為に西部・北部に兵力を集中、レミニア共和國軍も昨日の敵を今日の友として北方戰線に出陣し、ゴルゴニア軍の強襲を阻止しました。レミニア人の強國のふたつが仲直りして、こちらに向かってくるのを見て、機敏なミグルシアは出した爪を引っ込めて占領地を放擲し撤退しました。ミグルシアとゴルゴニアとの和平は未だに結ばれておらず、北部國境に於いて戰爭状態は續いていますが、最近(1930年後半)では互いに散發的な砲撃を交わし、時として空中で觀測飛行船を巡って護衛驅逐機の小競合いが散發する程度になっています。

政略の誤算により痛手を被った北帝國と未曽有の總力戰に疲弊したレミニア共和國は互いに合併し、新しくレミニア人の大國家「レミニア聯合共和國」を結成しました。首府は舊レミニア共和國の首都メトロポリスとなり、軍隊はレミニア軍部が主導權を握る事となりました。北帝國はその首都が瓦礫の山となり、軍の指揮系統が混亂し補給も滞った為、多くの援助をレミニアから受けなければならなくなったからです。北帝國獨裁者派の軍人は態よく軍から追放され、獨裁者の熱烈な支持者は密かに暗殺される虞れがおきたため多くの将校が亡命を餘儀なくされました。傭兵となり他國の外人部隊に入ったり、流浪の境涯となった者が數多くあります。獨裁者本人は國家を滅亡寸前に導いた罪により新政權の主宰する特別裁判によって死刑を宣告されましたが、舊部下の親衛隊残黨により獄中より救出され、以来行方不明となっています。おそらく新政権の放った刺客に暗殺されたのではないか、また一説では南米の某國に潜伏して獨裁政権の復活を畫策しながら餘生をおくっているのではないかと云われています。

桃↓=ミグルシア・ゴルゴニア・バクテリア聯合軍の奇襲侵攻、B=ミグルシア軍空中爆撃(北帝國主要都市の無差別爆撃及毒瓦斯散布)

北帝國・レミニアの停戦後、両軍合同の北方に於ける侵略阻止戰

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★砲彈の犠牲者(北帝國軍歩兵部隊)

★豫備病院(北帝國軍ホーキンハム軍團)

★兵站地の酒場(北帝國軍ホーキンハム軍團)

★激戦の跡

★激戦の跡

★塹壕(北帝國軍歩兵部隊)

★水汲使役(北帝國軍歩兵部隊の鼓手)

★自轉車行軍(レミニア軍獵兵部隊)

★憩いのひと時(レミニア軍砲兵と村娘)

★堅固な要塞(レミニア軍西部戰線オリザ砦)

★塹壕中の假繃帯所(北帝國軍ホーキンハム軍團)

★負傷後退(北帝國軍ホーキンハム軍團)

★毒瓦斯の犠牲者(北帝國軍)

★打鼓状砲撃

★毒瓦斯展進

★毒瓦斯の犠牲者

★破壊された村(西部戰線レゴーモ村)

★到着した歩兵聯隊(レミニア軍)

★機關銃分隊の陣地進入(レミニア軍)

★機關銃分隊の射撃(レミニア軍)

★突撃(北帝國軍ホーキンハム軍團)

★戰闘工兵の突撃路啓開(レミニア軍)

★「前へ」(レミニア軍)

★戰車部隊の行進(北帝國軍騎兵旅團)

★最前線(北帝國軍)

★肉彈(北帝國軍を迎撃するレミニア軍)

★獵兵の待伏せ(レミニア軍)

★野砲兵直撃(レミニア軍)

★前線に近い村の子供

★塹壕震盪症

★投降した北帝國軍兵士

★戰時下の町

★火炎放射器の威力(レミニア軍工兵大隊)

★肉薄(レミニア軍)

★戰車(レミニア軍騎兵聯隊)

★塹壕の悲惨(北帝國軍)

★銃後の村(ガイツ縣ヴィンベルボイ村)

★トラクター牽引の重砲(北帝國軍)

★聖祭日の禮拝(レミニア軍)

★陸軍刑法敵前逃亡犯兵士の銃殺刑(北帝國軍オルニア軍團野戰軍法會議)
★給養

★戰傷病者
長時間を塹壕中にて砲撃に曝されたため神経症(塹壕震盪)が多發した


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